現在、コロナウイルスによる自主的自粛措置継続中で、あまり遠くにお出かけできません。この期間を利用して、過去に行った世界遺産について書いてみようと思います。この旅は、かつてドイツに勤務していた2004年2月に行ったものです。

アイゼナハ(旧東ドイツ) 2004,2,29

 マルチンルターという宗教家がいます。ルターは、宗教改革の主人公としてあまりにも有名ですが、実際何をした人なのか、よく知りませんでした。今回、アイゼナハに行く前に、少し調べてみました。

1500年代の始め。ローマ教皇は、バチカンのサンピエトロ寺院を改修するために、広く民衆に「免罪符」を売った。「この免罪符を買えば、あなたの罪はつぐなわれ、天国に行ける。」というもの。それに異議を唱えたのがルターである。「免罪符を買えなどとキリストは言ってない。我々はただ聖書をよりどころにして信仰すべきだ。」という内容の提言を行い、ついには破門になってしまう。しかし、教皇から多額の金品を搾り取られていた貴族や領主の中にはルターを支持する人も多かった。破門になり、身の危険もあるルターをかくまったのが、アイゼナハのヴァルトブルグ城の領主。ルターは、この城で10ヶ月かけて聖書のドイツ語訳を完成させる。当時の社会では、聖書の翻訳そのものが大罪だったが、「一般の民衆も聖書を読み、聖書によって信仰すべき。」というルターの熱意を感じさせる。 (wikipediaから編集)

 2月29日(日)、朝7時出発。アウトバーンを北東に進む。アイゼナハは、200キロ先なのです。(ちょっと遠いな)最後の60キロは、東ドイツだったところです。東ドイツは、西に比べると経済の発展が遅れ、風景も淋しくなります。おまけに雪も降り始め、あたりはモノクロの世界になりました。でも、とにかく予定通り9時半にはアイゼナハに到着。さっそくヴァルトブルグ城に行きました。

雪降ったよ。運転こわ。
山の上に城。
見学はツアーでぞろぞろ歩いていきます。
ルターが聖書をドイツ語に翻訳した部屋。
ツアーが終ってひと休み。

 ヴァルトブルグ城は、世界遺産になっている城です。(世界遺産という言葉も、もうおなじみですね。)1067年に建てられ、火災と増改築を経て今の形になりました。中にはワーグナーの「タンホイザー」というオペラの元になった「歌合戦の間」(ちょっと笑える名称です)や、ルターが聖書を訳した部屋などがあります。およそ1時間のガイドツアーは、意外に飽きることなく終わりました。きらびやかな部屋と、ルターが仕事をしていた質素な部屋が対照的でした。  昼は家から持ってきたパンにハムをはさんで食べただけ。でも、なぜかおいしく感じました。(昨日買ったハムが良かったみたい・・・)

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 午後は、ルターハウス。昔はビールを造っていた建物で、ルターに関する展示があります。でも、中はあまりおもしろいものではありませんでした。次に行ったのが「バッハハウス」。バッハの生まれた所ではないけれど、バッハ一族の家だったところです。あの有名なバッハは、ここアイゼナハの生まれなのです。バッハハウスは、もちろんバッハに関する展示がありますが、一番の見どころは昔の楽器の数々です。でも、楽器の部屋には「今日は中で録音があるので、見せることはできません。」という張り紙がありました。いつもなら、楽器の演奏もやってくれるという話なのに、残念です。

こちら、ルターハウス。
こちらはバッハハウス。

 時間がずいぶん余ったので、「どっかで休んで行こうか。」という話になり、見つけたのがケーキ屋さん。(実は昨日、ケーニッヒシュタインのケーキ屋で食ったばっかり)また、ケーキを注文し、飲み物も注文し、おいしくいただいてきました。さすが旧東ドイツ領です。ケーキも昔懐かしい味がしました。それに、値段の安かったこと。コーヒー2杯とココア2杯(こちらではショコラーテという)、それにケーキが4つで11.6ユーロでした。(昨日は20ユーロかかった。)

これ全部で11.6ユーロ(1500円くらい)

 町は、西ドイツの町に比べるとレンガ色の建物が多く、行ったこともないのに「ロシアっぽいね。」と感じました。また、人が住んでいない廃墟のような家も多く、完全復興まではまだ時間がかかりそうです。ドイツの統合から13年。未だに東西の格差はあるのかもしれません。フランクフルトに住んでいる関係で、今まではほとんど西ドイツ領の町に行ってました。東ドイツ領の町は、今までとはちょっと雰囲気が違い、これも新鮮でした。アイゼナハを2時に出発。4時半には家に到着。まあまあゆとりの旅と言えるでしょう。

旧東ドイツ側は、少し寂しい感じがします。
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